ヒーリングの足跡    .

 僕は生まれながらに色覚異常(第一色盲)という障碍をもっています。 第一色盲とは赤色盲とも言い、赤を認識する錐(すい)体に異常があるそうです。 (ちなみに第二色盲は、緑色盲とも言い、緑を認識する錐体に異常があるそうです。) 僕の診断は赤色盲でしたが、実際には赤系色だけでなく、緑も正常には見えていません。

 幼少の頃から大人になるまで、「これ何色に見える?」「これは何色?」…など、こういう質問は、何百回は遥かに超え、何千回も聞かれている言葉です。 眼科医にも笑いながら「画家にはなれないね。」とか「学校でイジメられない?」と聞かれたこともありましたが、小さい頃から悩んだりしたことはありませんでした。 僕にとっては自分に見える色を素直に答えるだけで、みんなが笑ってくれるので、そのことをギャクに使い、むしろ自分の“ 特性 ”として、その状況を楽しんでいました。

 物心ついた頃から左手でペンを持つことをやめない僕の姿を両親が見て、書道を習わせてくれました。そのおかげで僕は文字も絵も両手で描けるようになりました。 また、ピアノの音色が好きだった母のおかげでクラシックピアノを習い、大学まで行かせてくれた父のおかげで、余暇をつくって絵や写真、作曲を独学で学ぶことができました。
 両親には、とても感謝しています。 ただ社交的な母と、人とのコミュニケーションが苦手だった父との間には、お互いの価値観の対立があり、たえず緊張がしいられる家庭環境にありました。 子供ながらに落ち着いた平和な家庭を願っていたので、僕もその間に入って、
自分の力でなんとかならないかと、できる限りの努力をしていました。

 僕は学生時代からプロの音楽家を目指し、自身のバンド活動をしていました。 当時はメタルやフュージョンやプログレ風の様々な激しいオリジナル曲をショルダーキーボードで奏でていました。
 しかしその後、テレビで見たチャレンジド(障碍者)の番組や、友人の突然の死に感じるものがあり、これまでの音楽活動から一変して、自分が創作できるあらゆる芸術作品、エネルギーを通して、人間の優しさや思いやり、安らぎや癒しを生涯、伝えていこうと決意しました。
 またそれまで僕自身はハンディとは思ったことがなかった同じ色覚異常をもった人たちの不便さや偏見や差別にも気づかされました。 すぐにバンドを解散し、それからは絵を描き、毎日ピアノを集中練習し、今でいう『心(魂)の芸術(スピリチュアルアート)』、『癒しの芸術(ヒーリングアート)』の創作と『癒しの音楽(ヒーリングミュージック)』を作曲してゆきました。
またこの頃からチャレンジドの介護ボランティアを始め、同時に県内各地の施設や、様々な難病や信仰をもった方たちと出逢い、語りあい、自分の曲を聴いていただきました。

 僕は多くの方々との出逢いとコミュニケーションを楽しんでゆく中、逆に様々な場面で“意識のバリア(*後半に説明) ”も感じてゆきました。心身の障碍や信仰の内容そのものより、国や人種や性別に対する偏見や差別にも似た、人と人との意識のバリアを感じてゆきました。そして僕は、日常の中でも、その意識のバリアを解放しゆくような生活を実践しながら、ヒーリング作品を生み出してゆきたいと思うようになりました。
 そんな気持ちをもっていたところ人の縁があり、大学卒業後すぐから障碍者自立生活ホームでチャレンジド(障碍者)と共同生活しながら介護ボランティアをし、同時にプロとして詩画家とピアニスト(作曲・講師)の活動を始めることができました。(※当時、ボランティアという言葉に抵抗があった僕は“ 同じ立場でお互いがサポートし合う ”という意味で、自らを“ 同居人 ”と言っていました。この生活は1989年から、施設が法人になるまでの約8年間続けました。)

 身体障碍、知的障碍、心身障碍…様々なチャレンジドと生活を共にしてきました。 特別な介護器具はなにもない普通の家でのトイレや入浴の全介助…、夜中に自宅で暴れた為、突然ホームに泊まりに来た知的のチャレンジド(障碍者)との会話、対応…、普段は大人しくて優しい性格ですが、一瞬で変わってしまう心身のチャレンジドとの無言の空気のやりとり…など、いろいろ大変に思う時もありましたが、辛いと思ったことは、あまり記憶にありません。仕事の方でも、他のピアノの先生では教えられなかったという精神がナイーブな生徒を紹介され、代わって自分が教えてゆくこともありましたが、楽しい思い出ばかりが胸にあります。

 でも悩んだり、苦しんだり、深く心を痛めたことも、たくさんありました。その多くは、介護やピアノレッスン以外のことでした。僕とチャレンジド(障碍者)本人との間ではなく、その周りの人たちの一元的なものの見方、不理解な言葉や行動でした。 ハンディがあるないに関わらず、人はみんな色んな面をもっている“ 多面体な存在 ”だという事を忘れて、その時の一面を見て、一面だけを聞いて、非難する言葉、批判する態度…。 この“ 意識のバリア ”はハンディや難病を抱える方やその家族だけでなく、国や人種、性別や信仰で偏見や差別を受けたことがある方々も体験していることではないでしょうか。

 僕の作品は障碍者や福祉のための音楽やアートと誤解されることもありますが、もっと広い意味で“ 人間 ”というあらゆる個性と特性をもった一人ひとりの意識に伝えてゆきたい作品(=癒し)であり、光(=エネルギー)なのです。
 国、人種、性別、病、ハンディキャップ、宗教、思想…、世界で多様化する社会と価値観の中、これらの人々への偏見や差別をなくしてゆくことは、とても難しいことです。なかなか議論や対話だけで、人々の魂が安らいでゆくことは、まだまだ少ないように感じています。 だからこそ僕は一人のアーティストとして、あらゆる“ 意識のバリアフリー ”を願い、これからも美術、音楽、文学の作品と演奏を通して、人々の心と体にヒーリングの光を伝え続けてゆこうと思っています。

1999年1月


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岡田和樹 KAZUKI JAPAN  



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